123便の事故があった年の4月に東亜国内航空に入社されています。
生え抜きではないんだ。
少し関連があるんですが、今夜の「ホンマでっか!?TV」に出演するこの方を取り上げてみようと思います。
あのDS芸人がてっちゃんのことをインスタに上げていたことから陰謀論界隈で少々話題になっていたんですが、まあ、それは考えすぎだと思いますけど、ちょっと調べてみたら興味深いことを発見しました。
見かけによらず立派な系譜をお持ちだというのは知っていましたが、NHKの「ファミリーヒストリー」を見てないので詳しいことは知りませんでした。
ウィキペディアによると、
八幡製鐵の初代社長を務めた大伯父の三鬼隆氏ですが、
なんと1952年4月9日に起きた日本航空のもく星号墜落事故でお亡くなりになっているのです。この方の最大の功績は永野重雄を育てたことだと言われていることから察するに●●会人脈なんでしょうか。たしかこの永野氏が全日本空輸の設立に貢献したんですよね。
このもく星号ですが、機体とコックピットクルーはノースウエスト・オリエンタル航空の借りもので客室乗務員だけが日本人だったようです。
私の生まれる前の話なので、松本清張の小説にあったかなという認識しかなかったのですが、調べてみると、羽田発大阪経由の福岡行きで、気象も機体も問題なかったのに伊豆大島のあたりで消息が途絶えている、連合軍の統制下にあったため墜落の原因など詳細は今もって不明、何らかの原因で三原山に追突して火口付近に墜落したなど123便と似た点がいくつか。123便の事故が起きたのは、もく星号事故から33年後。しかもその翌年に伊豆大島の三原山が噴火しているんですよ。これが何を意味するのか。
2021年に文春が特集を組んでいるので、興味のある方はご一読ください。