目からウロコ

ブログ名を変えました。(旧SMAPのいる日常)

お騒がせのあの人が日本にやってきた時代背景

関東大震災で最も支援してくれたアメリカがその翌年に排日移民法を制定したことは既述のとおりです。

日本人に特化したものではなかったけど、日本人の移民の数がほかに比べて多かった。

この流れはカナダにも波及して、南野陽子の母方のおじいさんがバンクーバーで苦労しながらやっと一軒の店を構えるまでになったのにやむなく帰国、その後、フィリピンで戦死したことを過日NHKの「ファミリーヒストリー」が取り上げていました。

ジャニーさんというか、喜多川家も当然この渦中にいたわけですが、アメリカ国籍だったのため米軍に従事したことはよく知られた話。

 

排日移民法とは何か。

study-z.net

<見出し>

1. 日露戦争における日本勝利により「黄禍論」がうずまく

2. カリフォルニアの「ゴールドラッシュ」で日本人のアメリカ行きが活発化

3. 1920年代のアメリカの科学は人種差別を後押しした(ダーウィニズム優生学)

4. 1924年に「排日移民法」が成立

5. ハリウッドの映画制作にも影響を与えた排日移民法

6. 第二次世界大戦中の日系人の苦難

 

中でも1番の、日露戦争に勝った、あのロシアを下したことで日本軍に対する脅威論が持ち上がったことは大きかったと思う。このままでは黄色人種の国が自主独立を目指して自分たち白人を脅かすようになるのではないかと考えた。

日露戦争で脚光を浴びたのは海軍であり、陸軍としてはあまりおもしろくない。海軍と陸軍の対立、陸軍内の対立(統制派と皇道派)をうまく利用しながらさきの大戦で日本を敗戦へと導いていく。当然ながら両軍ともに上層部は傀儡に牛耳られていたはず。勝つ見込みがあると判断してのアメリカ参戦だったが、思ったより苦戦。最終的には軍の暴走にお手上げだったやんごとなきお方と連合国側の利害が一致して、多くの国民の犠牲のうえに終戦と相成った。

というようなところでしょうか。これで大叔父4人が若くして戦死したその時代の背景が私にも少し見えてきました。

 

そして、戦後、トルーマン3S政策 (スクリーン・スポーツ・セックスを解放することで政治に関心を持たせないようにする植民地政策) の一環としてジャニー喜多川がやってきた。日本の男女を腑抜けにするために。さすがのアメリカもあの特攻隊には驚いたらしい。

これに関しては、日本の若い男性が化粧をしてキラキラした衣装にタカラヅカのような羽根をつけ歌い踊っている間は少なくとも戦争に狩り出されることはないのだろうと私はそんなふうにタカをくくっていました。

この前も細身の若い男の子がおしゃれなファッションに身を包み日傘を差して歩いているのに出くわして、これでは即戦力にならないよなぁと笑って見てたの。

でも、その風潮が今後変わってくるかもしれない。

韓国アイドルは兵役の義務がありますからね。希望しない限り、ハードな部署には配属されないようですが、それでもいざ戦争が始まるとそういうわけにもいかない。

さて、これからどういう流れになるのかな。

ペドの暴露合戦になってつぶし合いになるのがいちばん望ましいんですが。

いや、それも肝心なことを隠すための作戦かもしれないけど。