訳あって、父方の原戸籍を解読中です。
いとこに頼まれて。
法律事務所に勤めていたころ、相続人探しをしょっちゅうやらされていたから、戸籍を見るのはまあまあ得意。
でも、遡れるのは曾祖父の代まで。
高祖父の名前はわかったけど、それ以上は過去帳をたどっていくしかない。
天保七丙申年、文政九丙戌年、明治二巳巳年というふうに当時は干支を記したのね。
美と良=養の旧字で、「養嗣子」とは跡継ぎの養子のこと。
どこのお家も家督を継がせるのに養子だらけ。
あと、子どもが生まれてすぐに亡くなっているケースがとても多い。
当時の食糧事情と衛生環境もあるだろうけど、産めよ増やせよの政策で母体は相当痛めつけられていたと思う。
父の原戸籍は亡くなったときに取り寄せたので、複雑な生い立ちについてはよくわかっているんですが、それでも戸籍を見ていると可哀想になってきて、なんで生きているときにもっと優しくしてやれなかったのかと今も後悔しています。
孝行したいときに親はなし。
最近になってはじめて知ったのですが、私たちがお祝い事として飾りつける正月のしめ縄や門松やあるいは節分の豆まきなどさまざな伝統的行事や風習は、権力闘争に負けたほうからすれば自分たちへの呪いの儀式でもあるわけなのね。
ねぶた祭の起源を知ってあまりの残酷さに驚いたけど、そういう点では祭りも花火も祝砲も立場変われば目的も意味合いも全然異なってくる。
庶民としては勝ったほうの権力者に従うだけなので、そんなこと知らんがな。
と言いたいところですが、大和vs出雲の図式っていうのもしょせんは両建てで支配層はどちらもうまく利用しているような気がします。特に明治以降は。
私は自分が幼少期から青年期を過ごした昭和という時代にやはり深い思い入れがありますが、昭和も平成も多くの日本人の命が奪われたという点では同じ。
昭和は戦争、平成は震災とガン。
もし令和という時代において日本人の犠牲が最小限度に抑えられるなら、この時代に少しは賭けてみたい気もしますが、はてさてどうなることでしょう。