目からウロコ

ブログ名を変えました。(旧SMAPのいる日常)

気になる自分のルーツ

先日、従妹から連絡があって久しぶりに話したとき、「年をとったせいか、自分のルーツに興味が出てきたので、何か知っていることがあったら教えて」と頼まれました。

彼女は父方の従妹。今は東京住まいですが、北陸の出身です。

私の母は3姉妹で全員関西圏に住んでいることもあり仲が良く、私ら子どもも正月やお盆にになると、父方の実家にちょっと顔を出したあと、母の実家で長く滞在することが多かったのですが、不思議とそれぞれの子どもは母方より父方の「いとこ」と仲が良いのです。

うーん、どうしてだろう。

やはり同じ姓なので親しみと連帯感があるのかな。夫婦別姓の問題にはあまり関心がなかったけど、たかが姓、されど姓かも。

 

いつだったか、日本人とは何かと問われて、単に日本国民と答えず、江戸以前から日本人である>戦前から日本人である>戦後帰化して日本国籍を得た、つまり江戸以前からの日本人が上級日本人だと答えた右派の議員がおりました。

上級とか下級とかランク付けはどうでもいいんですが、原戸籍を取り寄せても祖々父の代しか遡れないでしょう。

自分のルーツをたどるには、生き証人があの世に逝ってしまった現在、家系図と墓と過去帳だけが頼り。

うちは果たして江戸以前からの日本人なのか?

これは従妹ならずとも私の最大の関心事でもあります。

まぁ、たいした家柄でないことはわかっているんですが。

 

母方の実家は、清荒神中山寺の巡礼街道沿いにあって、本家は庄屋だったと聞いています。うちは分家で兼業農家小作人を使い手広くやっていたようですが、先祖代々の土地も今はわずかしか残っていません。

本家のほうはどうか知りませんが、こちらの家系図はなく、墓と過去帳により江戸以前から暮らしていたことだけはわかっています。

ここは祖母が受け継いだ家で、祖父は実質婿養子に入ったようなもの。

岐阜にある祖父の実家には古い家系図があって、市の文化財課が調査のため借りにきたことがあるという。それによると、先祖は菅原道真の家臣だった○○家らしい。

ただ、祖父はこの家に養子に来ているので、血のつながりはないのです。

祖父の実の甥に当たる人が生家のルーツを調べたところ、神社の家系だということまではわかったのですが、それ以上のことは不明。

とにかく母方は江戸以前からの日本人です。

特に祖父の家系はかなり古くから日本に住み着いている。

 

さて、北陸の父方ですが、越前海岸に近く、祖母の実家も網元でした。

ここも墓と過去帳により江戸以前から暮らしていたことがわかっています。

謎なのは、祖父の家系。

従妹もこのルーツに関心を持っている。

父方の祖父の家系の男性はみんな早世で、まずもって生き証人がいないのです。

そのうえ、先祖の墓を一つにまとめてしまったので、過去帳だけが頼り。

墓じまいした先祖代々の墓に「伊藤〜」という見知らぬ名前と江戸時代の年号が彫ってあったことを従妹がかろうじて覚えているのですが、どうやら父の祖父が伊藤家から養子に来たみたいです。

時代が時代なのか、男の子が生まれなかった家は養子をもらうのが常だったのね。

その伊藤家というのが織物を扱う商人だったというところまではわかった。

商社の走りだったのかしらね。

この地はかつて秦氏が統治していたところです。

従妹は過去帳を調べてみると言ってたので、そのうちまた新しい情報がわかるかも。

 

ということで、うちは父方、母方とも江戸以前からの日本人でごさいました。

そのうち絶滅危惧種に指定されそうやね。

まぁ、男一人ぐらいは生き残るでしょう。