目からウロコ

ブログ名を変えました。(旧SMAPのいる日常)

私たちは大きな芝居小屋の無知な観客か

きょうは銀行のシステムダウン。毎日いろんなことが起きますね。

そんな中、親の付き添いでかかりつけのクリニックへ。

インフルエンザワクチンは品不足どころか、例年より余裕がある感じでした。

ほんと、テレビは煽るよね。

インフルエンザは子どもたちの間で流行中。若者はまだそれほどでもないらしい。

すわ、WW3かという緊迫した状況の中で、インフルエンザの流行に危機感を募らせているこの国は平和なのかなんなのか、よくわからなくなってきました。😂

 

ところで、世界の支配層の頂点は合議制なんでしょうか。

だれか一人の一存ですべてが決まるというわけではなさそうな?

右手と左手を上手に使い分けているだけで、911を計画したのもスマートシティのためにあくどい地上げをやらせているのも結局は同じでしょう。

方針転換しただけで、しょせんは人の命を虫けら同然にしか考えていない。

ここを本気で破壊しようという第三勢力が出てこない限り、未来永劫にわたって救われませんね。

最後の審判のため、神が偉大であるがゆえに悪魔の存在に意義を持たせたとしたら、何百年にもわたってまあよくやってきたものだとその執念深さに恐れ入る。

地球規模の劇団がやることだから、悪魔をつぶすフリだけするんでしょうか。

最近、カルトのテレビ局が悪魔サイン全開なのもその存在をわざわざ知らせようとしているのかな。ほとんどの日本人は何も気づいていないでしょうが。

 

seishonews.com

 

エゼキエル戦争が起きる条件として、イスラエルの民が安心して平穏に暮らしているという前提が必要である。

「安心して暮らす」の意味

患難期前説に反対する人々は、ハマスなどのテロ組織の無差別攻撃や、周辺諸国との紛争にさらされているイスラエルは「安心して暮らす」とはほど遠い状態にあることを理由に批判してきました。

この点を検討するため、まず「安心して暮らす」の原文での意味を考察してみましょう。ここでは、「平和に」暮らしているという客観的な表現ではなく、「安心して」暮らしているという主観的な表現になっています。この「安心して」の原語(ヘブル語)は「ベタッハ」で、「自信(confidence)を持って」とも訳せます。つまり、自国の軍事力や国力に自信を持っている時に攻撃を受けるという解釈が可能です。厳しい状況に置かれていても、それを克服する自信を持って暮らしているのであれば、「安心して暮らす」という描写が当てはまります。

 

世界最強の軍事力とセキュリティを有しているイスラエルの壁をすり抜けてハマスが易々と攻撃できたのはどうして?

それはマッチポンプだから。

犠牲になった方々に心から哀悼の意を表します。