2日の羽田の事故がなかったら、関心がなかったのでたぶん気づかなかったと思う、
熊本の済々黌高校から早稲田大学といえば、くりぃむしちゅーの上田さんや現役ドラフトでソフトバンクから阪神に移籍した大竹投手と同じやね。
123便の件で日航に対し民事訴訟を起こした遺族の吉備素子さんは、サミット前に岸田首相に宛てて手紙を書き真相究明を申し入れておられる。元日航の社員が防衛大臣になったことも好意的に受けとめておられたようだが、2日の事故を目の当たりにして今どんな気持ちでいらっしゃるか。
<記事より抜粋>
1985年当時から吉備さんは、おもに次の4つの疑問を抱いてきた。
第1に、墜落場所の特定が遅れ、救出が翌朝になったこと。
第2に、相模湾に落下し沈んだ垂直尾翼などの残骸が「引き揚げできない」と結論されたこと。
第3に日航の高木社長(当時)の「私は殺される」という不可解な発言。
第4は、群馬県警事故対策本部長・河村一男氏に言われた「事故原因を追及したら、米国と戦争になる」発言。加えて同氏が退職後、関西で再就職した後の次の言動。