文春アンケートによると、国葬反対がほぼ8割に達したとのこと。
亡くなった直後は半数ぐらいだったと記憶していますが、あれだけ連日のようにテレビや週刊誌で「と」との関係を取り上げればそうなってくるのは当然といえば当然。
とんとん拍子で国葬が決定したあのスピード感と安倍さんの死を神聖化させまいとするメディア報道との乖離に違和感を覚えてしまう。
いくら国民が乗り気でなくても一度決まったら撤回できない五輪や万博と同じで今さら中止はあり得ないでしょう。
国民はおろか、当の安倍さんのご遺族が国葬に対していささかの懸念を抱いているという報道もありました。
そこまでしてまでなぜ国葬に踏み切るのか、いろいろ意見が分かれるところでしょう。
過去に執り行われた国葬の中では伊藤博文のケースと似ているような気がします。
長州出身であること、韓国がらみであること、そして、暗●であること。
明治42年(1909年)10月26日、伊藤博文はハルピン駅で暗●されました。
知らせが届いた翌日には国葬が決まり、農家に生まれ下級武士出身であったことから反対の声も少なくなかったようですが、わずか9日後の11月4日に日比谷公園で国葬が営まれました。
この年には種痘法が制定されていますが、4月なので事件前です。
翌年の明治43年(1910年)には何があったか。
伊藤博文は日本の経済的理由から日韓併合には反対だったという見方もあるようですが、翌年8月に調印されています。
その3ヶ月前には幸徳秋水ら社会主義者への弾圧が始まり、8月から9月にかけて関東地方が大水害に見舞われた。
特に利根川と荒川では堤防が至る所で決壊し、埼玉・千葉両県の平野部が広く浸水、東京でも隅田川が決壊し、本所(墨田区)一帯が浸水した。この洪水で、関東地方を中心に死者679人、浸水家屋は500,000棟を超える甚大な被害となった。
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