ナカムラクリニックの先生のnoteが復活してよかったです。
講演があってお忙しかったみたいですね。
きょうケアマネさんに会ったら、あれだけ「珍コロ枠」(←うつみん風)は受けないと言っていたのに、変異株が怖いので考えが変わったらしい。
ということは、いずれ接種した人が我が家を月イチで訪問するということになる。
げげげ。
この「げげげ」の意味はわかる人にはわかるが、わからない人にはわからない。
先日お亡くなりになった方のブログを改めて読み返してみました。
新型コロナとトリチウム水が話題となっている今だからこそ、あえてご紹介したい記事があります。
私が膠原病についてより詳しく知りたいと思ったのは母がリウマチを患ってからのことですが、今は多くの方が免疫不全に高い関心を持っておられると思います。
「おととひの世界」のブログ主さんは、膠原病で心臓、肺などに病気を抱えていらっしゃいました。
お父さんが江田島海軍兵学校に通っていたころ、おそらく被曝したであろうと思われるが、被爆者手帳は貰わなかった。80歳を過ぎて再生不良性貧血のため大動脈を置換する大手術を受けられたとのこと。
お姉さんがいらっしゃったが、3ヶ月後にピアノの初コンサートを控えた2月のある日、体調不良を訴えて病院に駆け込んだが、間に合わなかった。直接の死因は心タンポナーデ、解離性大動脈瘤破裂で24歳10ヶ月の短い人生を終えられた。
そのお姉さんの命日に更新された記事です。↓
最後の一文に胸が締め付けられます。
お姉さんもこの方もご両親の年齢まで生きられなかった…。
この2つの記事も大変有益な内容だと思います。
考えるまでもなく、コロナは被曝の症状とよく似ていますね。
マスク、消毒、三密回避などのいわゆる風邪対策だけでいいのか?という話です。
5番目の爺さんが関係しているのか、それとも空にあいた穴が原因なのか、私にはよくわかりませんが、それなりの対策は必要でしょう。
ここはやはり原点に立ち返らないと。
有名な秋月医師の証言ですが、先生は別の著書の中でワカメの味噌汁の効用について述べられています。
玄米、塩、発酵食品、海藻、あとは重曹、ケイ素、ビタミンCいったところかな。
腸内環境のために砂糖、小麦、乳製品は控える。これが難しい……。
本文より抜粋。
私、婦長、岩永修道士、村井看護婦なども、8月15日頃から疲労が加わってきた。私ははじめ、「野宿は疲れるものだ」と思い、一週間近く病院の庭にごろ寝をしたことを、全身叩かれたような疲労の原因と考えた。私は放射能症、原爆症を知らない。しかし、ここで自分の体の疲労や自覚症状を考えてみた。私はかつて、長崎医大付属病院の永井助教授が部長をしていた放射線教室に、一年間、助手として勤務したことがある。
X線の診断治療を研究した時に、「レントゲン宿酔(しゅくすい)」という症状があった。子宮癌、乳癌の転移巣にX線深部治療をする。一日、二日と連続して照射すると、患者は一種の病的症状を起こす。これは「レントゲン宿酔」(レントゲン・カーター)と呼んでいた。当時医師不足で診療数が多く、私は過労していた。一日に二人、三人と消化管のX線透視をする。月曜日から始めて金曜日まで診療を続け、土曜日は休み、整理とか抄読会をする。私は生来虚弱体質だったせいもあるが、金曜日ごろになると何だか気分が悪くなった。「ああ、それはレントゲン・カーターだ」と先輩から教わった。
8月15、16日ごろ、私は自分の症状が、このレントゲン・カーターに酷似していることを明瞭に自覚したのである。
レントゲン放射線は、古典的物理学の言い方をすれば、波長のきわめて短い電磁波である。人間の細胞を透過する。しかしラジウム放射線と同じく、多量であれば人間の細胞を破壊する。レントゲン放射線に破壊される細胞は、分裂が盛んに行われる組織細胞である。幼弱細胞、生殖細胞、骨髄細胞――とにかく生命現象の営みの盛んな細胞は、レントゲン放射線によって壊死する。
私はここまで原子症を理解した。しかし原子爆発がいかなる放射線を生ずるか知らない。「ラジウム放射線か、レントゲン放射線、ガンマー線、そんな放射線であろう。その放射線が人間の造血組織、骨髄組織を破壊したのだろう。だから紫斑病みたいな患者が多いのだ」私の診断と推理はここまでであった。
私には血球計算器もなく、血球染色して顕微鏡で見る余力も装置も全くなかった。ただ想像と推理だけであった。私はさらに「レントゲン宿酔」の治療法を思い起こした。かつて私は、レントゲン教室で患者がカーターになったり、自分がカーターに苦しんだとき食塩水を飲んでいた。生理食塩水より少しよけいに塩分を含んだ塩水の飲用を患者に命じた。そうすると私自身、気分がよくなった。それは当時、レントゲン教室で研究し、働いていた人びとの常識であった。
「爆弾を受けた人には、塩がいいんだ。塩が、効果があるんだ」
私に、新しい生物物理学、原子生物学の知識はない。書物や論文はなにもない。それでもこの秋月式の栄養学に信念を持ってきた。秋月式栄養学=ミネラル栄養学である。この時のミネラル栄養論を端的に表現するならば、食塩、ナトリウムイオンは造血細胞に賦活力を与えるもの、砂糖は造血細胞毒素ということになる。
この考え方は、私が長崎医大の放射線教室にいた時、患者や医師や技術者にしていたレントゲン・カーターの治療に一致する。そしていま、この原爆症にも私のミネラル栄養論がそのまま役立つのではないか。私の胸中に信念にも似たものが湧然とわいてきた。「玄米飯に塩をつけて握るんだ。からい、濃い味噌汁を、毎食食べるんだ。砂糖は絶対にいかんぞ!」私は、炊事方や職員に厳命した。もしそれが履行されないと、私は、気の毒なくらい相手を怒鳴った。「砂糖はいかん、甘いものはいかん!」
これは爆弾前から、入院患者や従業員に厳重に申し渡していた。もっとも砂糖は、当時の日本の大衆にはほとんど無縁なものであった。
「砂糖はなぜ悪いんですか。塩がなぜ原爆症に効果があるんですか」こう誰もがたずねる。私は、いちいちこれを、根本的に説明するのもまだるっこい。「悪いといったら、悪いんだ。砂糖は血液を破壊するぞ!」
この時の私にひらめいたミネラル原爆症治療法は、私自身と、周囲の私を信ずる人びとの間には行なわれた。
その後、永井先生のビタミンB1・葡萄糖論の治療法、長崎医大影浦教授の「柿の葉煎汁療法」のビタミンC大量法、あるいは酒、アルコール治療法など種々の原子病治療法が現れた。
しかし私は、このミネラル治療法のためこれまで生きながらえ、元気に病院で医師として働いてこられたのだと信じている。私はきわめて虚弱体質であり、千八百メートルの距離で原子爆弾を受けた。致死量の放射能でなかったのかもしれない。しかし私や岩永修道士、野口神学生、婦長、村井看護婦その他の職員や、入院患者は、被爆の廃墟の死の灰の上で、その日以来、生活したのである。
その人びとが、もちろん疲労や症状はあったであろうが、それを克服して元気に来る日もくる日も人々のために立ち働き、誰もこのために死なず、重い原爆症が出現しなかったのは、実にこの秋月式の栄養論、食塩ミネラル治療法のおかげであった。
私とその周囲の人々はそれを信じている。学会ではたとえ認められなくとも。