77年前の今日
— ホリーニョ (@horinyo) 2022年8月14日
1945年8月15日 正午過ぎ、ラジオから流れる玉音放送により日本の敗戦を知った人々
白黒写真を、人工知能+手動補正でカラー化しました。 pic.twitter.com/pPl22PGdsW
弟3人を戦争で失った祖母が亡くなり、衛生兵として2度戦地に赴いた祖父が亡くなり、その後、父が亡くなってから、私の身内で戦争体験者は母のみとなりました。
といっても、当時まだ小学生だったので、たいしたことは覚えていません。
「玉音放送は聞いた?」と尋ねたら、「聞いてない。家の外にいたら、近所のおじさんが『〇〇ちゃん、お父さん帰ってくるで!』と教えてくれた」と言ってました。
そのときの感想はというと、「これでやっと夜、明かりをつけることができる」と思ったそうです。
本土決戦になるかもしれない緊迫した状況の中でみんな生きた心地がしなかったでしょうから、やれやれという解放感のほうが大きかったのではないか思います。