漫才師 庄司敏江さんの追悼記事です。
タイトルは「修羅の人生さらし 爆笑に昇華」
芸人になるしかなかった。家は貧しく畳もなく、中学も出ないまま口減らしで故郷の香川・小豆島を離れた。動物や貨物を運ぶ船で大阪へ。かしまし娘の元で下働きに身を捧げ、読み書き不自由なまま芸人になる。その分、弁舌の機転を鍛えた。
11年前に玲児が逝くと葬式で妻と並んで立った。芸人仲間の酒井くにお・とおるは「変な光景なのに違和感なし」。横山ひろしさん(74)はアドリブの妙に触れ「ほったらかしの天才。横山やすし師匠が組みたがってた」と明かす。修羅の人生の光も影も板の上にさらしながら、客席に咲く笑顔に抱かれた。(土井恵里奈)
最後の「修羅の人生の光も影も板の上にさらしながら、客席に咲く笑顔に抱かれた」の一節が光っていたので取り上げました。
笑顔に抱かれるという表現がぐっとくる。
先にタイトルを決めたのか、あとからタイトルを決めたのか。
たぶん後者だろうなぁ。
たった数百文字の追悼文を書くのに相当な時間を使って彼女の人生を調べたんだろうなと思います。
新聞報道も何かと問題はありますが、こういう珠玉の表現を見つけるのは楽しい。