目からウロコ

ブログ名を変えました。(旧SMAPのいる日常)

山下達郎さんが「AI美空ひばり」を一刀両断

 

私もAIでよみがえった美空ひばりさんを見て涙した一人ですが、このリスナーの意見も「冒涜です」と答えた山下達郎さんの気持ちもわかるような気がする。

科学技術の進歩で不可能だったことが可能になり、断念していた夢が叶うようになることはポジティブに受けとめたいんですが、その反面、人間はあきらめるということができなくなってきたのではないかと。

 

ずいぶん前の話になりますが、女優のM.Aさんが代理出産で子どもを授かったとき、養子扱いにしかならない日本の法制度に対して不服を述べたことがあって、それに対して作家のS.Aさんが週刊誌に寄稿した記事が印象的だった。それこそ一刀両断にばっさりと。

要約すると、「子宮がんと不妊治療の苦労を乗り越えてお子さんを授かったことは本当によかった、でも、そこまでにしておきなさいと。だれもが渡米して代理出産という方法を選択できるわけではない。昔なら、子どもに恵まれなくても、その現実を受け入れ、子どものいない人生を夫婦で豊かに過ごしていくために気持ちを切り替えたものだが、科学の進歩で人間はあきらめるということができなくてしまった。欲望には際限がないから、この先が心配である」というような内容だったと思います。

 

亡くなった人には会いたいし、もう一度話がしてみたい。でも、死んだら二度と会えない。だからこそ、生きている時間を大事にしなきゃいけない。

失恋もそうですよね。別れた恋人とは偶然でもない限り会わないでしょうから、ある意味、死に別れと似たようなものです。それがわかっているから別れはつらいんですが、それでもやっぱり受け入れなきゃいけない。時間がかかっても、いつかはあきらめなきゃいけない。それができなくて、ストーカーが増え続けているのが現状だと思います。

 

復活した美空ひばりさんは、今、生きている人たちの「こんなふうに歌ってほしい」「こんなふうに語りかけてほしい」という切なる願いに応えたという点ではすばらしいと思いますが、そこには美空ひばりさん本人の意思はありませんから、その点はどうなんだろうとは思いますね。それが「冒涜」なのかな。