全国どこかで毎日のように発生するゲリラ豪雨と台風ラッシュ。
それに加えて、コメ不足。
1993年秋に起きた平成の米騒動もエルニーニョがどうたらこうたら、長雨がどうたらこうたら言ってましたが、あのときも農家にはコメがありましたよ。
当時の職場の同僚2人は親戚が農家だったので、ほかの者がやむなくタイ米やカリフォルニア米で我慢している中、まったく不自由していませんでした。
コメ不足は半年ぐらい続いたのかな。
あとから聞いた話では、あれは社会実験だったらしいと。
1つには、1993年のGATTのウルグアイ・ラウンド農業合意によって米市場の部分開放が決まり、日本の食糧管理制度を見直す必要が出てきたこと。
あとは、コメがどんな形で闇に流れるか、いざというとき国民がどういう行動をとるか、政府が危機管理としてそういうことを把握しておきたかったんじゃないか説。
では、もしそうだとして、それを知って何に備えようとしたんでしょう?
1995年1月に阪神大震災が起きていることと何か関係があるのでしょうか。
「米」という字も八八。
なるほど!