📎SMAPのいる日常📎

ありふれた日常と、ときどき昔話、そしてSMAP

SMAPは平成のシンボル

 

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12日、NHKで放送された「震災から5年 “明日へ”コンサート」を見た。

SMAPが「オリジナルスマイル」で入場してきたとき、それから、ラストで「世界に一つだけの花」を歌ったとき、被災地への思いと相まって、やっぱり涙が出た。

親しい友人が見たら、あなたらしくないねと言って笑うかもしれない。

 

実際、あの一連の解散騒動で50歳を過ぎた自分がこんなにダメージを受けるとは思わなかった。

自分でも意外だった。

長年のファンで、SMAPのコンサートが大好きという理由だけで説明がつくものではない。

だって、あれだけ多くの国民やメディアが「解散」という二文字に激しく反応したのだから。

 

SMAPがCDデビューしたのは1991年9月。

年号が平成に変わって2年半ほどたったころである。

私はこのとき既にアラサーだったので、元気でやんちゃな男の子たちが出てきたなという印象だった。

 

このときの日本はというと、1990年3月に不動産融資を抑制する総量規制が大蔵省から通達され、1991年から深刻なリセッション(景景気退)に入り、バブル経済が崩壊したというのは誰もが知るところ。

最近ではリーマンショックが記憶に新しいが、それまで右肩上がりの安定成長を遂げてきた日本が長いデフレ経済に突入していったのだから、ここは日本にとってものすごく重要なターニングポイントである。

総量規制があまりに突然だったので、取引先の不動産会社はみんな悲鳴を上げ、その後、血を吐くようにしてバタバタと倒れていった。

 

そんな時期だから、デビュー後しばらくSMAPのCDが売れなかったのも仕方がないと思う。

影響はそれだけじゃなかった。

テレビから歌番組が消え、トレンディードラマが消えた。

野島伸司の描くドラマは、「101回目のプロポーズ」から「高校教師」「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」「聖者の行進」へとシュールな内容に変わっていき、それが時代の要請だったのだと思う。

 

ただ、救いもあった。

1993年4月のJリーグ発足である。

そして、SMAPが「Hey Hey おおきに毎度あり」ではじめてオリコンシングルチャート1位になったのが1994年。

若い人を中心に、国民はJリーグとSMAPの登場に新たな希望を見出した。

あのときの熱気は、その時代を生きて、直接肌で感じてきた者にしかわからないかもしれない。

が、その時代を知る人たちこそが、今回のSMAPの解散報道に対して強い拒否反応を示したのではないかと思う。

そして、SMAPは国民的スターになり、キング・カズもSMAPも今なお現役でレジェンドである。

 

今回の件にしても、SMAPが自分たちの意思で発展的解消をしたいと願うなら、ファンとしても反対するものではないが、巨大な見えない力により、本人たちの意に反して余儀なく解散させられるとしたら、話は別だ。

まるで無理やり平成という時代にピリオドを打とうとしているかのような、そして、皆が苦しみながら乗り越えてきたあの時代までを否定されたような、そんな気がして不快極まりなかった。

だから、自分でも予想外の大きなショックを受けたのだと思う。

 

最後に、国民的スターというのは、いつの時代にも存在するものではなく、混沌とした時代に一筋の光が見えかけたころ生まれてくるのではないだろうか。

戦後の美空ひばりや石原裕次郎が昭和のシンボルであったように、SMAPは私にとってまぎれもなく平成のシンボルなのである。