きのうの記事
ちょっと長くなりますが、最後まで読んでください。

仲間由紀恵の旦那さん😊
見てなかったけど、そっか、ジャニタレがキリシタン大名の役をやったのか。
荒木村重はずいぶんと織田信長に目をかけてもらっていたのになぜ反旗を翻したのか、背後に石山(大坂)本願寺がいた説が事実に近いような気がします。
石山本願寺が焼失したその跡地に秀吉が大阪城を建てたわけですが、信長に倣ってキリスト教を容認してきた秀吉がバテレン追放令を発令するに至った最大の理由は、長崎を中心として奴隷貿易が行われていることを知ったから。
だそうですが、キリシタン大名による奴隷貿易については、古代フェニキアまで遡らないといけないので今回は飛ばします。
荒木村重は池田城から伊丹の有岡城へ移り、一年間籠城して抗戦したものの敗色が濃くなると、家臣や家族を置いて尼崎城へ移動。毛利家に援軍を頼むためだったようですが、降伏すれば人質は解放するという申し出を拒否したと受け取った信長は激怒して……ここからは残酷すぎて文字を入力する気にならないため、説明を添付します。

その後、荒木村重は尾道にたどり着き、無事生き延びて秀吉の庇護のもとで茶人として晩年を過ごしたそうな。
池田~伊丹にはこういう歴史があるわけです。
キリシタン大名からすれば、裏切った上に家臣や家族を捨て自分だけ逃げた卑怯な奴ということになる。
一方、本願寺や仏教サイドからすればまた別の見方があるでしょう。
2023年にはこんなパネル展も開催されています。

さて、実はここからが本題なんですが、
有岡城跡の南東には「荒村寺」と言う村重の由来を感じさせる寺があり、有岡城で亡くなった人たちの慰霊碑が立っています。また、南西には「墨染寺」と言う寺があって、謀反後に処刑された荒木家由来の人々の墓があります。
そして荒村寺の裏手の高台には日露戦争の忠魂碑が立っている。

「忠魂碑」の文字を書いたのは乃木大将。
戦に勝ってもそれでめでたしとはならない。
犠牲になった人たちを慰霊するのは、怨霊を恐れ鎮めたいというのもあるでしょう。
乃木坂46 (^^;)
ガーシーが伊丹の実家を家宅捜査されたとき、「おかんだけは許して」と涙ながらに?訴えたのは、おそらく有岡城の悲劇を揶揄したんだろうと思います。
どっち側に立って?
そりゃあ、キリシタン大名側でしょう。
阪神タイガースに関連して、この話はあと少し続きます。