目からウロコ

ブログ名を変えました。(旧SMAPのいる日常)

歴史のさんぽ道……

この前からANAの改ざん?されたフライトマップが気になってしようがない。

どうしてJALではなくANAなのか。

それと、地震があった木更津ですが、木更津といえば、東京のベッドタウンであるとか、羽田への進入ルート(北風時)であるとか、海ほたるとか、そのぐらいの見識しかなかったのですが、歴史的にはヤマトタケルと所縁が深い地なんですね。

 

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伝説の日本武尊ヤマトタケルノミコト)が東国征伐に向かおうと浦賀水道(走水の海)から上総に船で渡ろうとしたときに、波が荒れて難儀しました。この時、妃の弟橘媛オトタチバナヒメ)が海中に入り、海神を鎮める事で、無事に上総にたどりついたのですが、亡くなった媛を思い、尊は何日もその場を立ち去る事ができなかったといわれます。

媛が最後に歌ったのは、相模の野で火が燃え上がっている中で私の事を心配してくれた、それが忘れられないという意味を込めた“さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも”という歌でした。
さすがの尊(“君”)もショックだったのでしょうか、この地を“去る”事ができなかったといわれます。「きみさらずタワー」はこの“君去さらず”に由来した名前なのです。また尊は、ここ太田山公園の地で海をながめ媛を偲んだといわれています。

 

ヤマトタケルとはどんな人? その伝説と生涯とは? | やおよろずの日本

 

大和の国のヤマトタケルが九州の熊曾建(クマソタケル)兄弟を征伐し出雲建(イズモタケルをだまし討ち。その後、東に遠征して最後は伊勢で果てるわけですが、やられた側はその恨みを忘れるかしら?なんてことをいろいろ考えていたら、けさの朝日新聞のローカル版にこんな記事が。

 

 

ヤマトタケルの伝説がある羽曳野市を舞台に、ヤマトタケルを主人公にした映画が制作される。来年春の上映開始予定で、アジアなど海外への映画祭への出品も目指す。

へぇー

大阪府羽曳野市には古墳群があり、すぐそこが奈良県です。阿倍野も近い。

ようやく「更」と「隠」がつながってきたかな。

 

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