目からウロコ

ブログ名を変えました。(旧SMAPのいる日常)

安倍さんへの私の思い

 

いい写真ですね。

私の母は叔父が3人戦死していることもあって、安倍さんには複雑な思いがあったようですが、妹の叔母2人は安倍さんの支持者で、まあ、嫁ぎ先の影響もあると思いますが、3人集まると靖国参拝教育勅語についてよく議論していました。

私はというと、会ったことのない大叔父にいつも思いを馳せているわけではないのですが、お墓参りに行くとどうしても向き合わなければいけない現実があるのです。

墓地には戦死者の墓が20基あります。

先祖の墓と別にあるということは、どれも遺骨が返っていないということです。

うちのように3人の名前が刻まれている墓はさすがに少ないですが、一度ひとつひとつ見て回ったところ、墓の内訳は海軍1に対して陸軍19でした。

お盆に参ると、夏の強い日差しと蝉の声が終戦の8月を思い起こさせるので、20基のお墓に眠っている(といっても遺品だけですが)戦死者が何かを訴えているような気がしてならないのです。

戦死といっても、ほとんどが餓死や疫病で亡くなっているので、耳を澄ませて真っ先に聞こえるのは「おなかが空いた」かな。

 

そんなわけで、私も母と同じく、戦地で散った人の死を美化してほしくない、そういう立場から支持者の方とはまた違った視点でのコアな安倍ウォッチャーでした。第一次安倍内閣のきからずっとです。

おそらくにわかファンよりは安倍さんのことに詳しいんじゃないかな。

転んでも転んでもすぐに立ち上がってくるので、敵からすれば憎らしいほど手ごわい相手だったでしょう。私も安倍さんは不死身だと思っていました。

だれもがそう思っていたんじゃないですか。

だから、なかなか死が受け入れられないのだと思います。アンチほどまさか奴がそうやすやすと死ぬわけがない。どこかでのうのうと生きているはずだと。

でも、三度目の正直は起きなかった。

在任中に自宅の庭に刃物を持った女が侵入するというあり得ない事件があって、それからほどなくして首相の座を降りましたね。

ご本人も自分は畳の上では死ねないだろうとよく口にしていたそうなので、身の危険は常に感じていたと思います。やられた側からの恨みも買っていたでしょうし。

安倍さんの支持者ほどさっさと死を受け入れているのは、ものすごい逆風が吹いていたことを知っているからでしょう。心配していたことがついに起きたかと。

命が惜しければ、後継者を育てて政界から退いていたと思います。

私から見ると、自分に託された使命を全うするため何かに取りつかれたように邁進しているイメージでした。

それが日本の国益のためだったのか、「満州よ、再び」だったのかはわかりませんが。

 

私はケネディ暗殺はリアルに知らないので、よく覚えているのはフィリピンのアキノ大統領暗殺です。

なぜかいつもテレビカメラがあるんですよね。

そういうことがまさかこの日本で起きるとは思わなかった。

しかも大勢の人が行きかう駅前のデパートのすぐそばで。

田中角栄の逮捕以来、政治家が及び腰になってしまったと言われていますが、これでますます萎縮してしまうのではないか。

恐ろしいことが起きてしまった、それが今の率直な気持ちです。

 

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