📎SMAPのいる日常📎

ありふれた日常と、ときどき昔話、そしてSMAP

今だから伝えておきたいこと

昨夜はおじゃMAPをリアタイで楽しみました。

しんつよの歌声、哀愁があってなかなかよかった。

コントやトークでふざけたときとまじめに歌っているときのギャップ、時折見せる哀愁と陰がSMAPの魅力でもありました。

それがなかったら、夜空ノムコウはあんなにヒットしただろうか?

……とここまで書くと、やっぱり5人揃った姿が見たくなりますね。

未練たらたら。 

 

1年半に及んだSMAP闘争?を振り返ると、ファンや事務所関係者以外にずいぶん多くの活動家や思想家の皆さんが参加されていたんですね。

何となく気づいていましたが。

あのころ、スマスマのゲストに来てくれたK.YさんやH.Tさんが木村くんにだけよそよそしいんじゃないかとか、I.Sさんがツイッターで木村くんにだけ声援を送るのはきっとメリー派に違いないとか、いろんな憶測が入り乱れましたが、あれも突き詰めていくと、70年安保闘争につながるんですよ。

ウソみたいですが、ホントにホント。

当事者たちはそんなことを知るよしもありませんが。

 

とにかく争いごとはもういいな。

こんなことになる前は、このタレントがどこの事務所の所属かなんて考えながらテレビを見ていたわけではないし、vsジャニーズもvsバーニングももはや興味がないので、そういうことから卒業したいです。

 

話は変わりますが、けさ方、CIAの長官が北朝鮮との対話の可能性を示唆して、金正恩は全然狂っていないと言ってたそうですね。

トランプ大統領はCIAとぼちぼちお手打ちできたのかな?

ラスベガス乱射事件の矛盾点に気づいた人もどんどん増えているようですね。

アメリカ人はとっくにお察しでしょう。

日本のメディア、中でもテレビが伝えることに振り回される必要はないです。

米中ロの動きを追っていれば、日本だけが取り残されていることにすぐ気づきますよ。

 

今、政治家も評論家もエセ愛国だらけでしょう。

ほんと、情けなくなるぐらい。

執拗に〇〇〇批判をする人ほど、裏で〇〇〇とつながっていたりするんですよね。

やましいことは隠したいから、声が大きくなるんだと思う。

〇〇人は日本から出ていけ〜!ってヘイトしている人に限って、日本人じゃなかったりするの。

何でそんな紛らわしいことをするのか、それについてはまた機会を見て。

ただ、右も左も関係なく、本当に日本のことを思い、心から日本の将来を案じている人の見分けはつきますよ。

それは私が日本人であり、国際感覚は持ち合わせているものの、どの国よりも日本のことを大切に思っているから。政治的な利害関係がないから。浄土真宗の門徒というだけで、新興宗教やカルトとまったく縁がないから。です。

それと、選挙で投票するときは、「〇〇をぶっ壊せ〜」という手のものには乗らないことにしています。

あんなのは一見カッコよく聞こえるけど、単に利権が移動するだけ。

移動先で新たな既得権益となって、新たな癒着を生む。

利権の移動先が国内ならまだしも、外国に行っちゃったりしてね。

 

私が政治のことに多少なりとも関心があるのは、親戚の一人が県議だったというのもありますが、やはり大叔父が5人戦死しているからだと思います。

戦地から無事帰還できたのは、商船学校を出て海軍に入った父方の祖父と、衛生兵だった母方の祖父だけ。

一兵卒の大叔父たちは南方に送られて全員亡くなりました。

祖母の兄弟は3人戦死し、遺骨は一人も返っていません。

独身のまま散ったので、供養する子孫もなく、私たちが見ていくしかありません。

これだけは言っておきますが、エリートは前線なんか出ませんよ。

ハリウッドのセレブがよくトランプ大統領の移民政策を批判していますが、あの人たちが暮らすような高級住宅街に不法移民は住みません。

貧困な町に住みついて、その町の財政はますますひっ迫するんです。

 

生前、祖母の口から日本やアメリカの悪口を聞いたことはありません。

ただ、靖国神社で祀ってもらうのがせめてもの救いだとは言ってました。

それだけに政治利用されるのが腹立たしいです。

ずらずらと並んで靖国に参拝する政治家の姿がテレビに映し出されるたびに、一体どの英霊に向かって祈りを捧げているんだろうかと思うことがあります。

よもやA級戦犯に向かって、「もう少し待っていてください。必ず名誉を回復しますから」と約束しているわけではあるまい。

 

それでも政治家や官僚の良心に一縷の望みを託したいと思うのです。

こんなことを言ったら笑われそうですが、祖父が阪神大震災で家が全壊したにもかかわらず、かすり傷一つで済んだことも、弟が大きな交通事故に2度遭ったにもかかわらず、大事に至らなかったことも、あの日、私が偶然にもJAL123便より早い便で伊丹に戻ってきたことも、母は戦死者が守ってくれたからだと言います。

私もそう思います。

私は当時エアラインに勤めていたので、毎日おびただしい数の棺が運ばれ、空港内に安置されているのを目の当たりにしました。

多くの人の犠牲の上に今の平和と安全があるのです。

そのことを疎かにする者たちを犠牲者は決して許さないでしょう。

 

きょうはまじめに長々と語ってしまいました。